南洋だより ブルーム篇 6 連日のトラブル
ダンピアテラスに沿って 宿泊したローバックホテルは、カーナーヴォン・ストリート側とダンピアテラス (ローバック湾) 側の両方にエントランスがある。ホテルからダンピア側に出て海岸沿いの坂道を登りつめると、ブルームの壮大な景…
ダンピアテラスに沿って 宿泊したローバックホテルは、カーナーヴォン・ストリート側とダンピアテラス (ローバック湾) 側の両方にエントランスがある。ホテルからダンピア側に出て海岸沿いの坂道を登りつめると、ブルームの壮大な景…
この町と愛媛県との古くからの結びつきを強く実感できる場所であるブルーム日本人墓地へは、滞在中3回訪れた。明治初期からこれまで、ブルームで真珠貝採取に従事したダイバー延べ3万人中3分の2に当たる約2万人が日本人。そのうち1…
増田さん親娘と出会う コートマーケットから西へおよそ20分ほどで、日本人墓地の裏の入り口に到着した。その数900以上といわれる和風の墓石が立ち並ぶ風景に圧倒されるが、おそらくオーストラリア最大の日本人墓地であろう。ブルー…
私の旅は国内外を問わず、町の歩き方は公共交通機関のほか基本歩くか自転車である。現代では、飛行機や新幹線、マイカーでスピードを競うのが旅の常となってしまったが、これでは町の文化や本当の姿は見えて来ないのである。幹線道路から…
赤土の町 ブルーム パースの町から空港内のロビーに戻ってみると、トランクを預けておいたドラッグストアーのガラスドアが閉まっており、その向うにトランクが置かれていたので困ったなと一瞬焦った。よくよく見ると「A.M.2:30…
コロールの旅を終えてから 平成29(2017)年、私の母の実父や兄たち(母方の祖父、大叔父たち)が過ごした可能性のあるパラオのコロールに出かけた。その際、そこには戦前日本の南洋庁の役所があり、日本同様のシステムが…
1 北東方向から望む城山と市街【明治中期】 三方を山に囲まれ、一方を海に接した宇和島城。城山の背景には九島山と戎山、湿地帯が広がっている。丸之内周辺では、多門やぐらや追手門、侍屋敷らしきものも目にとまる。明治30年頃の写…
パラオの人たちが日本びいきなことの大きな要因に、次のような逸話がある。ペリリュー戦は、昭和19(1944)年9月15日に開戦した日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘で、日本の守備隊長・中川州男(くにお)大佐は住民(現地人)を巻き…
話は前後するが、到着初日と翌日二日にわたって北部の「千人洞窟」を訪れた。ノースドックから10分ほど歩いた所にあって、太平洋戦争末期、北部の水戸山陣地に地下壕を張りめぐらせたところである。ペリリュー島に配置されていた歩兵第…
旧西地区・日米の戦車 ペリリュー最終日にあたる3日目は、午後2時にコロールに帰る高速船の出航までしか滞在時間がなかった。残された時間を有効に過ごすために、前日レンタル自転車を壊したので、キミコさんの長男アレックスに車での…
米軍慰霊碑の公園からしばらく樹林を走り抜けると、島の南西部にある白砂のビーチが開けた。この海岸は、米軍上陸当日の昭和19(1944)年9月15日、日本軍の洞窟陣地からの攻撃で米軍の多数の死傷者を出したペリリューで最も長い…
慰霊碑群に続いて、そこから自転車で南へ2、3km細い山道を行くと現ペリリュー発電所に到着。ペリリュー島の電力事情は首都圏同様きわめて悪く、慢性電力不足を解消するため、日本政府の協力で最近火力発電からディーゼル発電に切り替…
到着した翌日(ペリリュー2日目)は、アイランドテラスで手配してもらったレンタサイクルで一日中、北から南まで島中を駈け回った。パラオ共和国の中心コロール州から南へ約50kmのペリリュー島はペリリュー州に属し、南北9km、東…
アイランドテラスへ宿泊した最初の夜、ここでは基本的に食事はできないので、キミコさんの長男アレックスの薦める近所のレストランへ夜8時頃出かけた。ペリリュー島全体でも、宿泊施設が少ないうえ、食事ができるレストランも2、3ヶ所…
ここからは私のルーツ探しのパラオ・コロール島の旅からはちょっと離れ、本や映像などで知り興味を抱いていたペリリュー島訪問リポートを始めよう。日米の激戦地で日本兵10,000人以上、アメリカ兵2,000人強が戦死したといわれ…