宇和島映画館物語 1
第1回 スバル座 明治18(1885)年開館。歌舞伎のすぐれた回り舞台のあった芝居小屋「融通座」から、洋画専門の映画館「スバル座」に衣替えしたのは昭和31(1956)年。外観はほぼそのままで、内部をそっくり映画館席に改装…
第1回 スバル座 明治18(1885)年開館。歌舞伎のすぐれた回り舞台のあった芝居小屋「融通座」から、洋画専門の映画館「スバル座」に衣替えしたのは昭和31(1956)年。外観はほぼそのままで、内部をそっくり映画館席に改装…
アイランドテラスへ宿泊した最初の夜、ここでは基本的に食事はできないので、キミコさんの長男アレックスの薦める近所のレストランへ夜8時頃出かけた。ペリリュー島全体でも、宿泊施設が少ないうえ、食事ができるレストランも2、3ヶ所…
ここからは私のルーツ探しのパラオ・コロール島の旅からはちょっと離れ、本や映像などで知り興味を抱いていたペリリュー島訪問リポートを始めよう。日米の激戦地で日本兵10,000人以上、アメリカ兵2,000人強が戦死したといわれ…
祖父はパラオのどこにいたのか? 母の実父・池田象(のりお 旧姓山崎)の足跡を訪ねてコロールの日本人町といわれた付近をめぐり歩いたり、ベラウ・ミュージアムや同ライブラリーへ何回か通って調べたが、肝心なことはまるでわからなか…
南洋だよりも終わりに近づいたが、ここでは、タクシードライバーとして知り合ったフスティーノ Hustino Meseksei(62歳 男性)のバベルダオブ島オギワルでの優雅なくらし振りを紹介する。 戦後生まれのパラワン(パ…
パラオの日本語世代は今 旧日本人町のあったコロール市内のダウンタウンと島内周辺をほぼひと回りしたあと、現地事情に詳しい人を聞いてまわった。ベラウ・ミュ—ジアムの現地スタッフ・ケルビン KeIvin Towai(50代・男…
前章同様に、ベラウ・ミュージアムの資料・写真から南洋庁時代のパラオの航空・運輸事業、マスメディアや教育政策などを順に追って見てみよう。 運輸 昭和10(1935)年には、横須賀(後に横浜)、サイパン、内地を飛行艇で飛行す…
この章では祖父の歩んだ道とは多少離れて、ベラウ・ミュージアムの展示資料や写真から、農漁業や産業、商業などを見ながら幻の日本町だったパラオを連想してみよう。ドイツ統治時代からコプラ※プランテーションやリン鉱採掘が産業化され…
海軍墓地と南洋神社 コロールの中心地から市内唯一の幹線道路を東に走り、南洋神社にいたる南に折れる脇道を過ぎて、人気の日本レストラン「どらごん亭」※前を通りしばらくすると、北方向へ入る小道があり、海岸へ続くなだらかな坂を下…
コロールのメインストリート 平成29(2017)年1月27日、午前11時5分ユナイテッド航空で大阪(関西国際空港)を発ち、グアム経由でコロールへは出発日当日の午後10時過ぎに到着。旧首都があり、日本人町の中心であったコロ…
曾祖父・山崎栄治郎(母方の祖父)や祖父・池田象(のりお=山崎栄治郎の次男、わたしの母の実父)の外国時代の足跡をたどり、西オーストラリアのブルーム、シンガポールからマレーシア、そしてパラオのコロールへ順次訪れたいと長年念願…