移り変わる町並み 新橋通界隈 5

26 町にあふれる笑顔【新町・中央町 昭和23(1948)年頃】

ウエダ新橋2 写真提供:上田雅一氏

内港がまだ埋め立てられていない今から67年前の新橋通り。歩く人々の生き生きした表情のなかに、長い戦争から解放された時代の喜びと活気が感じられる。仮設バラックが建ち並ぶ向こう正面の迷彩模様の建物は、第二十九銀行(現伊予銀行)宇和島支店。戦争末期には、アメリカの爆撃から身を護る自衛手段として、全国各地の白壁は目立たぬようと塗りつぶされていったが、敗戦後もしばらくはその迷彩色は残っていた。電柱には「消火栓」の文字が判読できる。

27 昭和天皇の四国巡幸【新町 昭和25(1950))年3月20日】

天応22 敗戦から4年後の昭和24年(1949)年、市の復興計画により、町の中央部まで入り込んでいた内港が埋め立てられ、のちの新橋商店街になる市街地が誕生する。翌25(1950)年3月20日、昭和天皇の宇和島巡幸の際、日の丸を手にした多数の市民が正座でお出迎えしたのがこの広場。お立ち台に立たれた天皇陛下に、先導役の国松福祿市長(写真右端)が奉迎のご挨拶を述べて万歳を奉唱した。新橋通内港埋め立て地S-99 写真右下に日の丸が見えるのがお立ち台の位置であり、不鮮明ながら天皇陛下らしきお姿も。右側の白い建物は四国銀行宇和島支店。この後、陛下はお召し車で愛南町へ向かわれた。「人間宣言」された陛下の地方巡幸の旅は、敗戦翌年から昭和29(1954)年まで延べ165日。昭和天皇のご来宇は、皇太子(摂政の宮 せっしょうのみや)時代を含め計3回を数える。

28 つかの間の内港商店街【新町 昭和25(1950)年】

内港商店街110 内港が埋め立てられ、その一帯は「内港商店街」とよばれていた時期があった。宇和島自動車バスの車体には「市制30周年記念」と書かれている。11月3日、商店街は美しく飾られ、市制30周年記念祭が盛大に催された。敗戦から5年、街は元気を取り戻して急速に発展し、料理屋、花街、映画館なども賑わっていた。「大見屋」「野田ふとん支店」(現野田陶器店)の看板が見え、電柱広告には「クスリ笹岡薬局」とある。現在は新橋商店街にくりこまれている。

29 市制30周年記念の仮装行列【丸之内 昭和25(1950)年】

市制30周年横新町有志仮装3

宇和島の市制施行は、大正10(1921)年8月。昭和25(1950)年には市制施行30周年を迎え、記念祭が行なわれた。「祝市制三十年 横新町」の幕を背景に、記念の仮装行列に出演した同町の人たちの記念撮影。上の28の写真と同じ時期だが、撮影場所は丸之内5丁目の「有明(ありあけ)」あたり。女性が男性に、男性が女性にと、互いに男女反対の役に扮している。その後、町名改正により、横新町の一部は竪(たつ)新町とともに新町となり、一部は丸之内になった。

30 「新橋音頭」生まれる【昭和27(1952)年7月頃】 27.7-2 片側町であった浜通りから戦後新橋通りへと変わり、落ち着きを取り戻したこの頃「新橋音頭」の歌と踊りの発表会が開かれた。左から2番目に踊る浴衣姿の女性は、追手通りの藤間流名取・中浦久子さん(故人)。作詞・作曲者など詳細はわからない。昭和35(1960)年7月、宇和島でロケした映画『南海の狼火』を見ると、映像の最後の方に新橋から恵美須町への風景とともに「行きも帰りも新橋通り♪♪」と「新橋音頭」らしき曲が流れる。

31 新橋商店街のネオンアーチ【新町 昭和27(1952)年8月】 名称未設定 2-5 ネオンアーチも鮮やかな新橋商店街交差点付近。 新橋商店街のアーチ型のネオンは、ほかの商店街に先駆けて昭和27(1952)年7月に完成した。夜になると「しんばしどうり」の文字にワクがあり、灯りが点る仕掛けになっていた。急速に成長していった商店街も、夏まつり以降は老舗の閉店が相次ぎ不況風にさらされたが、新橋・恵美須町両商店街は「特等、3万円が当たる」をキャッチフレーズに年末年始大売出しを行ない、景気上昇につとめた。

32 神輿が行く宇和津彦神社秋まつり【袋町・新町 昭和28(1953)年頃】

IMG_0046 2-3 写真撮影:山崎昌徳氏

袋町2丁目と新橋の間の交差点付近を神輿を担ぐ男たちが練っている。左手には輪タク(自転車タクシー)に乗った神官の姿も見える。「しんばしどうり」と書かれた新橋商店街と、「FUKUROMATI」とローマ字で書かれた袋町商店街のアーチ型ネオンサインが好対照である。袋町側の角店(写真中央)は衣料品の天満屋、その右の建物は戦後再建された映画館・丸の内劇場。右端に「森永ミルクキャラメル」と旗が出ている店が梅月菓子舗であった。道路舗装もまだまだ先の話の頃。

33 第3回商工祭に登場した築地の芸妓さん【新町 昭和30(1955)年】

市制パレード宇和島運輸角3 踊り越後獅子 2-2
写真提供;横田幸雄氏

新橋交差点の宇和島運輸営業所前をパレードする築地料飲組合の芸妓(げいこ)さんたち。昭和25(1950)年生まれの私には、築地や北陽の花街などまったく未知の世界だが、昭和30年代に宇和島でロケした映画(『大番』『南海の狼火』)には必ず登場している「築地花街」は宇和島観光の目玉のひとつだった。写真左の黒っぽい和服の女性は、築地の代表的料亭で320坪あったといわれる「東雲(しののめ)」の女将・故善家美恵子さん。

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