移り変わる町並み 宇和島駅と駅前通界隈3

16 駅前の臨港道路【昭和27(1952)年頃】

駅前通り3 写真撮影:山崎昌徳氏

天満山方面(龍光院裏山)から俯瞰した駅前大通り。中央を走る広い道は、一般には「臨港道路」と称され、太平洋戦争時に輸送力の増強をはかるため国鉄駅より、外港桟橋に向けて鶴島町、恵美須町の一部を壊して建設されたものであった。道路右端のひときわ目立つ高層ビルは、四国配電(現四国電力)宇和島支店。 写真右側の駅に出る手前にちっぽけなバラックがあり、数台の厚生車(輪タク)が止まっている。坂下津、戎山から九島山まで見渡せる。

17 戦後8年目の駅前通り【恵美須町 昭和28(1953)年頃】

駅前通り谷本前pg96 2-6 写真提供:谷本博紀氏

恵美須町商店街から撮影した駅前北側商店街(現駅前商店街)の通りである。写真左端に見える瓦屋根は 、冨士屋食堂(現タナベメガネ店駅前店)付近である。戦後8年目にしては整然とした町並みに見えるが、店舗の並ぶうしろ側部分はNo.18の写真のように 川になっていた。戦後駅前の畑枝川沿いに簡易な店舗を建てていったのが、現在の駅前商店街であった。大通り側からは確認しにくいが、ほとんどの店舗の後面 は畑枝川(はだえだがわ)が流れている。

18 恵美須町の西籐工具店と恵美須橋【恵美須町 昭和28(1963)年頃】

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写真A

%e8%a5%bf%e8%97%a4%e5%b7%a5%e5%85%b7%e5%ba%974 駅前通りの畑枝川1 2-9 写真提供:西藤昭平氏
写真B            写真C

(写真A) 和服の婦人の歩いている恵美須橋の親柱に、大正15(1926)年6月竣工と刻まれている。橋を渡って少し左へ行くと船大工町商店街があった。現在では、ここからが恵美須町2丁目商店街(アーケード)の入口。橋の前に国道56号バイパスに沿った駅前大通りが走っており、この位置から左方向へ2軒目は今日ではカラオケ喫茶「みせ家」。ここからパルティフジの駐車場入口にかけて、片側だけの不思議な橋の欄干に出くわすが、往時の「大黒橋」である。

(写真B) 橋を渡ってすぐ右角に、昭和40(1965)年頃まで営業していた機械工具や建築金物を扱う西藤工具店と、右隣に同店の住宅があった。
(写真C) 通称「鉄屋」と呼ばれた同店の手前の道は河川敷のようになっており、写真中央は同店のご子息・西藤昭平さんとおかあさん。背景の橋は「西橋」といい、表(駅前大通り)側から見れば、今のタナベメガネ店駅前店と三侊カメラの間にかかった橋である。現在この川の部分は被覆されて暗渠(あんきょ)※となってい る。

※上部をコンクリートなどで覆った地下水路のこと。

19 花の芸妓さんパレード【錦町 昭和28(1953)年4月】S-9北陽と築地の2大花街が華やかだった時代には、祭りを盛り上げる“きれいどころ”があでやかに登場して花を咲かせた。昭和28(1953)年4月、宇和島商 工会議所主催により、戦後初めての春の商工祭が開催され、以後毎年行なわれるようになった。男衆の曵く山車(だし)の中で、芸妓(げいこ)さんが鼓(つづ み)や鉦(かね)を打ち鳴らしており、山車を先頭にパレードはとぎれることなく続いている。同年3月には、国鉄吉野生(よしのぶ)ー江川崎(えかわさき 高知県)線が開通している。

20 栄町ロータリーから駅前通り【栄町港・恵美須町 昭和29(1954)年頃】

駅前通り23-9 写真撮影:山崎昌徳氏

栄町ロータリーから眺めた国鉄(現IR)宇和島駅方面。正面には龍光院の屋根と天満山、鬼ヶ城(おにがじょう)連山が背後にそびえる。戦後10年以上が経過 して駅前通りは整備されている。写真左側に見える橋の欄干の辺りは、畑枝川が道路下を流れている(現パルティフジ駐車場付近)。戦前、醤油醸造元の塩屋本 店があったこの辺りはもともと潮止まりであり、今はほとんど全面的に道路で覆われてわかりにくいが、畑枝川とドブ川の合流地点であり海(河口)に近い。

21 「君の名は」の広告と厚生車【錦町 昭和29(1954)年】「君の名は」と厚生車19544映画『君の名は』※の宣伝のぼりがひらめく宇和島駅前広場に、厚生車(輪タク)が 停車している。この頃になると、町も急速に復興してゆき、厚生車の需要も減少していく。右手前に畑枝川の一部が写り込んでいる辺りが、現在SLレプリカな どのある「駅前憩いの広場」である。写真の宇和島駅は、昭和26(1951)年から平成8(1996)年まで、実に45年にわたり愛された5代目の駅舎。 平成11(1999)年7月完成、6階建てのホテル・クレメント併設の今の駅舎ビルは7代目である。

※今夏大ヒットのアニメ映画『君の名は。』ではなく、63年前の「。」が付かない松竹『君の名は』は、放送時には銭湯の女湯が空になると話題になったNHK連続ラジオドラマの映画化。昭和29(1954)年4月27日、「第3部(完結篇)」は全国同時封切。

22 昼下がりの駅前商店街【恵美須町 昭和30(1955)年頃】

桜クレパス3  写真提供:谷本博紀氏

恵美須町(1丁目)商店街の谷本書店前の緑地帯に、同店の取引先だった「さくらクレパス」※の宣伝車が止まっている。写真右手前には、谷本の書籍や文具を運 ぶリヤカーが置かれている。緑地帯の柵内には、2本の背の高いヤシが立つほかはわずかに雑草が生えているだけ。背景には、左から右へかけて、花月堂、マルキン食肉店、武内自転車など、活気にあふれた頃の駅前(北側)商店街の顔が立ち並ぶ。

※さくらクレパス(本社・大阪)ではないが、ぺんてる (同・東京)が宝酒造の故大宮庫吉(宇和島市出身)によって、市内の小学生全員にプレゼントされたことを私はかすかに覚えている。「ぺんてる」には、子どもたちが芸術的に豊かに育って欲しい、という文化人でもあった故人の願いが込められていたようである。

 

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