移り変わる町並み 宇和島駅と駅前通界隈4

23 国鉄宇和島駅前【錦町 昭和30(1955)年頃】

国鉄駅前風景-修正999昭和301955)年頃の国鉄(現JR)宇和島駅前の風景。今の駅前とはまったく様相を異にしており、河川の水は相当に汚れて淀んでいるように見える。この辺りは、大井川と畑枝川の合流地点であり、河畔に停車している宇和島バスが誤ってよく川に転落したそうである。戦後、駅北側のわずかな河川敷を利用して小屋がけの商店が建ち始め、徐々に商店街が形成されてゆく。この年昭和30(1955)年3月には、隣接の高光(たかみつ)村と三浦村を合併、宇和島市域はさらに広くなった。

24 四つ太鼓が繰り出た駅前通り【恵美須町 昭和30(1956)年10月】

名称未設定アカタマ前3-9八幡神社の秋祭りに、和霊町青年団のかつぐ四つ太鼓が駅前大通りに繰り出している。右側の白い3階建てビルはキャバレーアカタマ(元山下百貨店)。その手前下には映画館「マルゲキ」や「シンゲキ」などの映画共同看板もにぎやか。アカタマは、鶴島町の「銀馬車」とともに宇和島を代表する2大キャバレーだった。アカタマのすぐ先にはシンゲキ(新栄劇場)があったが、当時シンゲキ付近は「船大工町商店街」といっていた。

25 「ギューちゃん」を知ってますか?【錦町 昭和31(1956)年頃】

43-9映画『大番』のロケーションのひとコマ。麦わら帽子の主人公・ギューちゃん(加東大介)とロケ隊を囲んで、ものすごい数の見物人が駅前一帯に殺到。深夜ロケでは、物見高いファンで駅前広場は夜遅くまでにぎわい、屋台が夜ごと現れて大繁盛。宇和島駅を東京駅に仕立てて撮影したり、“永遠の処女” 原節子が降り立った時には、美空ひばり以来の大フィーバーを巻き起こしたとか。昭和32(1957)年小説・映画のブームに便乗、銘菓「大番」※が誕生。

※先日、「大番」の早食いなるテレビ向きイベントが町であったらしい。企画内容や、写真(上)のギューちゃんスタイルが菓子の包装紙に使われていることを今の人が知らないのはともかく、60年前当時の市長の熱意ある発案から生まれたといわれる原点に帰り、本当の宇和島の「銘菓」にする努力が大切では。また、『大番』『娘と私』『てんやわんや』『海軍』など、宇和島や南予を描いた獅子文六(岩田豊雄)文学はもっと再評価されていいし、町おこしの要素がいっぱい。

26 路地の七夕【天神町 昭和32(1957)年7月】

路地の七夕6簾(すだれ)のかかった家の前に、吹き流しや菱飾り、菊の花のくす玉、願い事に自分の名前を書いた短冊などが飾られ、路地の男の子もうれしそうだ。撮影場所は、鬼北町方面から国道320号バイパス、天神トンネルを抜けて駅に出る直前の天神町辺り。「七夕飾り」については、平成3(1991)年から毎年数年間、姉妹都市仙台にちなみ宇和島商店街(恵美須町、新橋、袋町の3町内合同)の名物行事として挙行され、大きなくす玉と吹き流しの七夕飾りが町を彩ったこともあった。

27 ボーイスカウト鼓笛隊のパレード【恵美須町・錦町 昭和32(1957)年7月頃】ボーイのパレード3和霊大祭の当日、ボーイスカウト宇和島第1団(和霊隊)の鼓笛隊が駅前通りを行進している。和霊大祭の当日、ボーイスカウト宇和島第1団(和霊隊)の鼓笛隊が駅前通りを行進している。「夏まひる 宇和島の町をゆるがせて ボーイスカウトの鼓笛隊進む」と作家・杉本苑子が歌にしている。※ 日本ボーイスカウト連盟総コミッショナーをつとめた二荒芳徳※が宇和島出身という関係もあり、宇和島のボーイスカウト活動はこの頃までは活発で、県下でも指折りの優秀隊として認められていた。宇和島第1F団と第3団の2つしかない最近の衰退は寂しい限り。

※朝日新聞 昭和54年4月2日 杉本苑子(そのこ)「歌に寄せる」より 彼女の四国旅行中の思い出として、当時のことをエッセイ風に綴っている。
※二荒芳徳(ふたら よしのり) 1886〜1967 日本体育専門学校(現日本体育大学)校長。日本ボーイスカウトを創立。宇和島伊達家最後の藩主伊達宗徳(だて むねえ)の9男。夫人は大正美人の一人北白川擴子(きたしらかわ ひろこ)。長男二荒芳忠の夫人がハワイアン歌手の先駆けエセル中田で、こうした縁を「宇和島ハワイアン・フェス」とかに活かしたい。

28 駅前通りを練り歩く牛鬼【恵美須町 昭和32(1957)年頃】

牛鬼 駅前3駅前通りを行く八幡神社秋祭りの牛鬼パレードのようす。写真右に自転車が並んだところは武内自転車店で、現在の太公堂古美術店付近。武内の左の店は、宇和島では精肉店の草分け、追手に本店があった伊豫政の支店だった。喫茶店に転業した後、今は店を閉めている。牛鬼の鳴き声を現わす「ブーブー」とカイ(竹ボラ)を吹きながら牛鬼について回る子どもたちが、左下に見える。夕方になると、この付近では酔客相手の屋台が並び、アセチレンガスの匂いを漂わせていた。

29 冨士屋名物の「氷アズキ」【恵美須町 昭和33(1958)年】

冨士屋36 写真提供:曽我一美氏

駅前通りの冨士屋食堂の名を一躍高めた「氷アズキ」。1日に使うアズキの量が、大きな洗濯タライに5杯分というから驚きである。駅が重要な交通の拠点だった昭和30年代(1955年〜1964年)、近郷近在のお客さんで連日満員だったという。洋食皿に冷えたスイカを小切りにして、さらに砂糖や氷の小片を加えた「氷スイカ」も人気メニューだった。「駅前フジヤ」と書かれたハッピ姿で、手動式かき氷機を回すご主人も元気いっぱい。

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