移り変わる町並み 宇和島駅と駅前通界隈7

45 宇和島のシンボルタワー【錦町 昭和42(1967)年】

e5ae87e887aae2124541258b95e8bb48ae69cace7a4be3宇和島自動車(株)本社は、昭和42(1967)年5月10日新築落成され、鉄筋5階建てのビルは当時市内では最高層、最先端をゆく宇和島のシンボルタワーとなった。同年9月には丸之内に中央(現宇和島)バスセンターも落成している。1階、2階はレストラン錦、5階は結婚式やパーティーの行なわれる大ホールがあった。先年亡くなったが、錦の料理長だった高森清巳さんは、後に「ふらんす亭」をオープンするなど宇和島のフレンチの走りとして知られた。

46 さよなら シーコロ君【錦町 昭和43(1968)年】

さよならシーコロ君3 写真撮影:河野一水氏 写真協力:河野藤夫氏

昭和43(1968)年9月30日、宇和島ー江川崎間を走った最後の蒸気機関車(C−12263)。「宇和島のダ・ヴィンチ」の異名を取った故河野一水さんの入賞(写真)作品だが、機関車の車体に白墨で書いた「サヨナラ シーコロ君」の文字は、宇和島鉄道愛好会会長の河野藤夫さん(90歳  市内中央町在住)というから、いわば合作の名作といえるかもしれない。県下では内子線など、四国内では45(1970)年まで蒸気機関車が走っていた。

宇和島駅最後の江川崎行き列車の出発(写真下・左)と、機関区で行なわれた「お別れ写生会」のようす(写真下・右)。蒸気機関車の廃止にともない、国鉄宇和島駅主催で行なわれた「蒸気機関車」の写真と写生のコンテストで、多数の参加者があった模様。宇和島の鉄道の歴史は、大正3(1914)年私鉄宇和島鉄道(株)から始まり、昭和8(1933)年国鉄移管、同49(1974)年予土線全線開通、62(1987)年の民営化でJR四国となり、平成26(2014)年に100周年を迎えた。

シーコロ36 お別れ写生会44 写真撮影:河野一水氏

47 映画人にモテる宇和島駅【錦町 昭和42(1967)年・昭和48(1973)年】

昭和30年代から40年代(1955〜1974年)にかけては、宇和島ロケ映画が花盛り。多くの著名俳優、女優が駅に降り立ち、駅構内や駅前通りでのロケーションが盛んだった。昭和34(1959)年付の愛媛新聞では、宇和島駅は「映画人にモテる駅」と紹介されていて、現在とは隔世の感がある。

%e5%9b%a3%e4%bd%93%e5%88%97%e8%bb%8a%e6%b8%a5%e7%be%8e2 写真提供:池田嘉周氏

主役の渥美清が撮影を終え背広に着替えて、宇和島駅から東京へ帰るところ。「寅さん」の始まる2年前の『喜劇 団体列車』で、佐久間良子や笠智衆らも来宇した。当時渥美はさほど知名度がなく、映画『五番町夕霧楼』で脚光を浴びた佐久間ひとりにロケ関係者はちやほや。後に大スターとなる渥美には考えられない話。ちなみに、セカチュー※原作者片山恭一の父親・故片山慶一は、当時市観光課の係長として大奮闘。
北の家族8-8NHK連続テレビ小説『北の家族』のロケーション。中央で手を振る主演で娘役の高橋洋子※と母親役左幸子(左端)が宇和島駅に降りると秋祭りの最中。丸穂の牛鬼が花を添える中、離ればなれになっていた父親・下元勉と再会するシーンが撮影された。家族の流転を函館、金沢、横浜、宇和島を舞台に描いた。昭和45(1970)年山田洋次監督の映画『家族』をヒントにした作品。

※片山恭一の青春小説「世界の中心で、愛を叫ぶ」のこと。平成16(2004)年に映画化などの相乗効果で300万部を越えるベストセラーとなり、「セカチュー」は流行語や社会現象に。小説では著者の故郷宇和島の地名や店名が登場するが、地元では映画化にほとんど興味を示さず、一方昨年(2016年)公開の宇和島への郷土愛が感じられない“奇妙な映画”に1000万円も協賛したというから、一体何を考えているのか?

※高橋洋子(「残酷な天使のテーゼ」の人ではない)は、前年の47(1972)年東宝映画『旅の重さ』の主役に抜擢され、秋吉久美子とともに撮影に参加。宇和島では、岩松小学校の旧校舎や札所の龍光寺などがロケ地になった。

48 城山から城北方面【昭和48(1973)年】市外写真 駅3城山の天守閣前広場から城北方面の眺望。城山の樹木のちょうど下あたりに、アーケード商店街や宇和島電報電話局。写真中央に宇和島駅と駅前通り、左側の山裾に和霊神社の大鳥居や城北中学校が写っている。昭和20(1945) 年、空襲により市街地の3分の2を失い、焼け残ったのは、鉄筋の四国配電(現四国電力)と宇和島電報局(現ドコモショップ宇和島新町店)、石造の旧市役所だけ。それから30年近く経って、美しい町並みに再生している。

49 皇太子殿下・妃殿下宇和島ご訪問【錦町 昭和49(1974)年7月17日】皇太子殿下6国鉄駅前で大勢の市民の歓声に応え、手を振られる皇太子さまご夫妻(現今上天皇・皇后両陛下)※。愛媛県ご巡幸中のご夫妻は、昭和49(1974)年7月17日午後5時45分、松山から急行宇和島6号で宇和島駅にご到着。翌日は津島町でハマチや真珠の養殖場、愛南町鹿島※でグラスボートでの海中景観を楽しまれた。ご夫妻にとって初めての南予の旅で、17日と18日の2日間市内丸之内の蔦屋ホテルにご宿泊された。

※皇太子妃の服装は、白いツーピースに、淡いグリーンの花をつけた白い帽子に白手袋など。昭和34(1959)年のご成婚時には、初の平民出身の皇太子妃として、少女時代の愛称から「ミッチー・ブーム」が起こり、いわゆる「白」を基調にしたファッション「ミッチー・スタイル」が大流行した。
※昭和45(1970)年全国で初めて海中公園指定を受け、47(1972)年「足摺国定公園」に宇和海地域を含め「足摺宇和海国立公園」に名称変更。藩政時代は宇和島藩の狩猟地だった。

50 ワシントンヤシと駅前通り【錦町 昭和50(1975)年11月】駅前通り宇和島自動車ビル44ワシントンヤシが見事にそそり立つ駅前大通り。左の天満山山頂に円形ドームの市営闘牛場、右には国民年金センター(現環大平洋大学短大さくらキャンパス)が写っている。この年オープンした市営闘牛場は、それまで和霊神社裏にあった屋外の「和霊土俵」から、雨天でも開催可能な屋内闘牛場となり、プロレスやコンサート会場にも利用できるようになった。写真中央の緑地帯を挟んで駅前商店街は左側、右側の宇和島自動車本社のある並びが駅前南商店街である。

51 球界の紳士・別当薫サイン会【恵美須町 昭和51(1976)年】

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駅前のタナベメガネ店の新築落成イベントとして、「球界の紳士」と評された別当薫※のサイン会が催された。店内で、笑顔で気さくにサインに応じた同氏は、日本初の境目のない遠近両用レンズ「HOYAバリラックスⅡ」のCMキャラクターとして、日本眼鏡業界の発展・向上に貢献。タナベは昭和34(1959)年追手から袋町へ移転。昭和46(1971)年に駅前に出店して、現在まで袋町・駅前両店で営業を続けている。

※別当薫(べっとう かおる) 1920〜1999 兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)、監督、野球解説者。選手時代は走攻守揃った強打者。平成20(2008)年、出陣学徒壮行早慶戦の映画化『ラストゲーム  最後の早慶戦』のモデルの一人。

52 四国電力株式会社【錦町 昭和52(1977)年6月17日】77.6.17-8よんでんの略称で親しまれる四国電力(株)の昭和50年代のビルである。宇和島の電気の歴史は、明治39(1906)年宇和島電燈(株)が計画され、まもなく北宇和他4郡により同43(1910)年6月、旧本町2丁目(現中央町)に宇和水電(株)創立、45(1912)年5月には宇和島に初めて電灯がともった。昭和17(1942)年、四国4県の各電力会社で四国配電(株)設立。26(1951)年四国電力(株)と名称変更後愛媛支店となり、平成2(1990)年から現在の四国電力宇和島支店に。

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