移り変わる町並み 宇和島駅と駅前通界隈8[最終回]

53 天神小学校正門【天神町 昭和54(1979年)年】

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戦前は市内の高等小学校を統合した「宇和島尋常高等小学校」といっていたが、戦後は昭和22(1947)年新制の城北中学校として設立され開校。同校が現在の和霊町に移転した後、昭和31(1956)年4月に天神小学校として新設された。空から見るとコの字のユニークな校舎で、外側と内側に2ヶ所の運動場があった。昭和54(1979)年には山の上(丸穂町)に新築校舎が完成し移転、今日に至っている。

54 宇和島駅周辺の市街写真【昭和56(1981)年6月5日】

6%e5%ae%87%e5%92%8c%e5%b3%b6%e9%a7%85-9昭和56(1981)年の市街写真である。写真中央に5階建ての宇和島自動車本社ビル、宇和島駅と駅前広場。回りに新築の四国電力宇和島電気ビルや丸通、宇和青果などの建物が目に入る。広場から右下に、元天神小学校の運動場と天満山の緑が広がる。駅前から栄町交差点までヤシ並木が連続しており、円形ドームの「喫茶・ベルコンパル」や農協会館(現JA愛媛南)ビルは並木の終わる辺り。ヤシ並木からT字に交差して、四国一長い中央商店街のアーケードが伸びている。

55 栄町ロータリー交差点付近【栄町港 昭和56(1981)年】81-9四叉路の栄町ロータリー付近である。右端のヤシの木の上にひと際目立つ電波塔は、四国電力宇和島電気ビル(宇和島支店 )。左側にある三角屋根看板の「田舎屋」は、「さつま」などの郷土料理の店。写真左端には、道路側から小さな橋を渡って料理を楽しむ「かき船」※があったが、現在は寿司の「和泉屋」に。ここから左方向へ進んだ栄橋までは、駅前と同じ畑枝川を被覆した商店街。半世紀前には、むき出しになった畑枝川の河畔に「かき船」と消防倉庫だけが建っていた。

※かき船とは、かき養殖業者がかきを運搬していた船のことだが、明治初め頃から河岸に係留して、小売りや料理店を始めた。戦前の宇和島では、須賀川の下流や旧内港(現新町付近)にかき船が繋留していた。

56 丸通(南予通運)株式会社【錦町 昭和60(1985)年1月19日】

丸通貨物社屋2-7現在は築地町に移転しているが、当時は宇和島電機ビル(四国電力宇和島支店)向かいの錦町にあった。このビルの裏側は国鉄(現JR)用地で、貨物列車が入る線路が延びており、ここからトラックで荷物を各地に運送するシステム。国鉄関連の貨物会社「日本通運」の南予地区統合業社として、初代社長薬師神岩太郎※を迎え昭和17(1942)年6月設立。主に大洲市から高知県宿毛市辺りまで広いエーリアの貨物を扱っている。

※薬師神岩太郎(やくしじん いわたろう) 1889〜1953 元旧来村村長、宇和島市議、県議会議員、衆議院議員等歴任。南予段畑の振興に尽した人物で、天赦園グランドに同郷(来村)の三好直作「薬師神岩太郎銅像」がある。

57 ワシントンヤシ通り夕景 昭和61(1986)年】3.19-8駅前のワシントンヤシに夕日が映えて、南国宇和島の美しさを漂わせている。昭和55(1980)年、県営事業として全面的に完成した駅前のワシントンヤシ通りは、新・日本街路樹100景※にも選ばれている。丸之内パチンコの立体駐車場や四国電力の電波塔が黒い影になっている。宇和島の夕焼け空はカメラマンの被写体として最適で、なかでも、鬼ヶ城から見た宇和海に沈む夕日は天界を思わせる幽玄な美しさがある。※

※読売新聞社が、創刊120年を記念して平成6(1994)年に選定した街路樹の景観にすぐれた場所100ヶ所。
※友人の山崎伊知郎君が、写真を主としたブログ「鬼ヶ城山景」を開設しています。興味のある方はご覧ください。

58 ロータリー名店街【栄町港 平成2(1977)年】
ロータリー名店街1-6 ロータリー名店街2-6

駅前通りから少し外れる。栄町港のJA会館と(株)清水商店の間にあるロータリー名店街は、両側に数軒酒場が並んだ、すぐ行き止まりになる小さな飲み屋街。こんなホッとする空間も少なくなってしまった。戦前のおこわ横丁、菊さん横丁、ヤケ横丁など、ある時代まで生活空間の重要な部分を占めていたのは横丁や路地。そうした裏通りこそ、町の本当の素顔や文化に出会える場所なのだが。

59 清家清設計の「大和田建樹詩碑」【錦町 平成3(1978)年】

%e5%90%8d%e7%a7%b0%e6%9c%aa%e8%a8%ad%e5%ae%9a-1-8JR宇和島駅前広場の花壇に囲まれた水槽内に、黒い御影石の「大和田建樹詩碑(しひ)」※がある。夜間は下からの照明で水面から幻想的に記念碑が浮かび上がる、という設計者故清家清※のイメージだったが、今では水槽に水はなくなり、照明は暗く美観は損なわれている。つけ加えると、等覚寺に解体移築されていた建樹の生家跡は15年前に消えている。全国的に著名な望郷詩人に対して「唱歌の里(記念館)」などの構想もあっていいのでは。

※大和田建樹(おおわだ たけき) 1857〜1910 宇和島市出身。明治の国文学者で、歌人・詩人。東京・新橋駅構内にも「鉄道唱歌」の碑があり、特に唱歌は名高く「故郷の空」「青葉の笛」「散歩唱歌」など1000編以上作詞。詩碑は、題字・十河信二(元国鉄総裁)、唱歌揮毫・安部能成(学習院院長)。昭和40(1965)年、宇和島ライオンズクラブ創立10周年記念事業。
※清家清(せいけ きよし) 1918〜2005 日本を代表する現代建築家。父親清家正は、機械工学者で吉田町喜佐方生まれ、宇和島中学(第10期)卒。子息の清家篤は経済学者・慶応義塾長。

資料提供:前田廣士氏

60 リニューアルした駅前アーケード【錦町 平成8(1996)年】

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平成に入って、老朽化が進むアーケードを建て替えようと、総工費2億2千万円を投じて、片屋根付きの近代的なアーケードと歩道のカラー舗装が平成8(1996)年3月竣工。駅前商店街協同組合は面目を一新した。青に白字の店名看板があざやかな三洸カメラ、小冨士商会や駅寄りにムライカメラなど、食堂、土産物屋に次いで、老舗写真店が目につくのもこの通り。中央緑地帯を挟んで、お向かいの駅前南商店街協同組合の新アーケードは、それよりさらに4年後に落成した。

 

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