移り変わる町並み 船大工町〜須賀通界隈5

30 和田香苗とシンゲキ黄金時代【恵美須町 昭和29(1954)年 昭和31(1956)年1月】

シンゲキ(新栄劇場)前の映画『ローマの休日』宣伝隊。劇中、映画の主役二人がローマ市内をスクーターで走るシーンを再現したもの。スピーカー付きの街宣車に続き、和田香苗(先頭の男性)※から順に男女カップルのバイクが10数台も列をなしていて壮観。シンゲキは昭和24(1949)年頃開館して、邦画・洋画を問わず上映した。劇場の存立期間が短いのは、地元の「堀部興行」(三好悦雄社長)から松山に本拠を置く「坪内興行」へ移行した影響があったのかも。

 写真提供:水田昭一氏

『新諸国物語 オテナの塔』と『へそくり社長』の東宝映画2本立て公開中。先に封切られた北村寿夫原作、東映の『笛吹童子』『紅孔雀』は、中村錦之助、東千代之介の人気者で当たったが、同じ「新諸国物語」でも東宝版、中村扇雀(現4代目坂田藤十郎)主演の地味な作品だった。『へそくり社長』は森繁久弥主演、東宝最長の喜劇〘社長シリーズ〙の第1作。平成2(1990)年、森繁は遺作映画『流転の海』で初の宇和島入りし、鬼北町ロケに参加した。

※和田香苗(わだ かなえ) 昭和7(1932)年〜平成13(2001)年 宇和島市出身の作曲家、編曲家。シンゲキ向かい角にあった「和田自転車店」の長男。昭和31(1956)年上京後、昭和42(1967)年ご当地ソングの先駆け「新宿ブルース」(扇ひろ子:歌)の大ヒットで人気作曲家に。アニメソングの帝王・水木一郎と演歌の冠二郎は育ての親。

31 古本デパート 久保田書店【恵美須町 昭和30(1955)年1月】

 写真提供:水田昭一氏

船大工町商店街を俯瞰したもので、「古本デパート」の白地に黒の看板もあざやかな久保田書店は、駅前通りに移転する前の店舗である。手前の平屋根はNo.1パチンコ。向かいの通りには、左から二宮袋物店、エスオー洋服店、中川作業服店、伊藤又蔵商店、住谷釣具店と並んでおり、ここまでが船大工町。その先から恵美須町だったが、昭和41(1966)年7月の町名改正で、この通り一帯が恵美須町2丁目に。背の高い電信柱とスズラン灯が、のどかなあの頃の雰囲気を醸し出している。

32 ミッチー、キャバレー「アカタマ」に !【恵美須町 昭和31(1956)年】

 写真提供:横田幸雄氏

昭和31(1956)年8月、船大工町のシンゲキで、ミッチーこと三橋美智也※の歌謡ショーがあり、終了後に築地の料亭「東雲(しののめ)」で三橋の歓迎会があった。その流れで、芸妓さんたち何人かと一緒にキャバレー「アカタマ」※へ飲みにきたらしい。中央三橋の左が「東雲」の善家季義・美恵子夫妻。まわりの客はアカタマの常連客で、大スターの突然の来訪に、我も我もと集まり記念写真に収まったという。

※三橋美智也(みはし みちや) 昭和5(1930)年〜平成8(1996)年 北海道出身の演歌・民謡歌手、三味線奏者。70年代後半、深夜ラジオから「ミッチー・ブーム」を巻き起こし、若者にも知られた存在に。映画館マルゲキ(丸の内劇場)などへも来館、宇和島では馴染み深い。

※アカタマ 世代的には全く知らない私だが、中学時代この前を通ると「魅惑の社交場 アカタマ」というネオン看板が輝いていたのを覚えている。戦後は、船大工町の「ミナト」、鶴島町の「銀馬車」と並ぶ3大キャバレーの1つだったらしい。

33 四つ太鼓が繰り出された恵美須町交差点付近【昭和31(1956)年10月】

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八幡(はちまん)神社の四ツ太鼓が恵美須町交差点を渡っており、宇和島自動車のボンネットバスが立ち往生している。横断歩道の白色ペイントも信号機も、まだ設置されていない。中央の白い三階建ては山下百貨店で、現在の恵美須町2丁目商店街入口付近にあたる。こうした大通りの交差点には、当時の人々にとって最大の娯楽だった映画の共同看板が、必ずといっていいほど置かれていた。

34 群衆でいっぱいの船大工町商店街【恵美須町 昭和32(1957)年10月】

 写真提供:糸井捷路氏

秋祭りの踊りの輪を取り囲むように、人々が群がる船大工町前の通り。シンゲキ(右端のビル)から左へ、NO.1パチンコ、久保田書店と隣り合っている。戦後の娯楽ブームで、当時市内には10軒の映画館と多数のパチンコ店が林立した。シンゲキは、翌33(1958)年1月末に閉館して「主婦の店宇和島店」に変わった。「河内屋(かわちや)かまぼこ恵美須町店」の一角が現在地である。

35 住吉山から玉ヶ月を望む【昭和32(1957)年】

 写真提供:水田昭一氏

写真正面に見えるのが、大浦湾口の玉ヶ月(たまかづき)※で、突堤には油槽タンク(現三原産業油槽所)があるが、戦前は宇和島運輸(株)の石炭置き場があって、ダンベ(はしけ)で石炭を運送していた。住吉山と大浦が連なっていた昭和初期までは、見返り坂を上りきると、樺崎の付属港・玉ヶ月の港が目に飛び込んできたそうだ。女性の立つ住吉山の下方が樺崎で、宇和島運輸の待合所があり、九州航路などが発着し外港とよばれていた。いまは徳州会病院が建っている。

※大正11(1922)年、市内の電気需要の激増により、宇和水電(現四国電力)が火力発電所を設置した場所であった。

36 主婦の店宇和島店【恵美須町 昭和33(1958)年2月】

昭和33(1958)年1月のシンゲキ閉館後、2月3日にオープンしたスーパー「主婦の店宇和島店」。映画広告がまだ残っており、「スーパチエン」の看板もどこか懐かしい。市内の卸小売組合が「正札の励行」を謳って対抗したが、セルフ※の量販店は従来の小売店には脅威だった。翌34(1959)年に新橋センター、昭和41(1966)年大型スーパー「フジ」の第1号店が恵美須町に開店。フジグラン北宇和島の「北フジ」に対し、「エビフジ(フジ恵美須町店)」とよばれている。

※セルフ 小売店で客が商品を自由に選んで運び、レジで一括して支払うセルフ・サービス方式。

 

 

 

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